【院体系】

※院体画・・・中国宮廷画の画風。精密に写実的に描く。モチーフは花鳥や山水。

夏珪(かけい)

南宋の画家。院体画の第一人者とされる。

■夏珪様・・・室町時代水墨山水画の規範となるほど重要なものであるが、現存数は少ない。ジグザクの梅樹、水上に突き出る細長い岸辺、三つにカーブを描く橋、岩に施される斧劈皺など特徴がある。

祥啓(しょうけい)

室町中~後期に活躍した画僧。字は賢江、号は貧楽斎。夏珪(かけい)画が源流となっている。芸阿弥が師。「貧楽斎」という書斎が与えられる。最後の事跡は大永3年(1523年)とされている。

■ 祥啓様

山水画は夏珪様を基本に、明朗・柔和に描かれる。藍や代赭色を使用する。特に岩組の描き方は特徴がある。辺角的な構図で近景を整え、中景に獣脚のような形状の岸辺、円形の水辺にうっすらと州浜と遠山を配置する構図が典型の一つとしてある。花鳥図は行体の墨画が圧倒的に多いが、真体の着色画もある。弟子に啓孫、興悦(偸閑斎)、僊可(巣雪斎)など、また式部輝忠(のち狩野派)などが影響を受けている。

祥啓
祥啓

牧谿(もっけい)

中国南宋末元初の僧。14世紀末、鎌倉時代末期に日本に伝わる。 滲みぼかしの効果による十分に濃厚な空気の表現、柔和な線による的確な把握は牧谿様(和尚様)として影響を与える( 祥啓派 や狩野派にも)。寒山拾得図(寒山と拾得の脱俗的で融通無碍な生き方を描く)では啓牧や興牧など祥啓派も牧谿様で描いている。また鶴の図でいえば、室町水墨画がほとんど牧谿様の影響がみられる。他にも雀、白鷺、燕、鴨など定番の花鳥図は数種ある。

玉潤(ぎょっかん)

中国南宋末元初の僧。墨色の濃淡、奔放な筆致による画風。玉潤様として、雪舟、雪村に影響を与える。

【禅文化と京都相国寺】

室町時代、足利家が禅宗を庇護し、足利家の寺である相国寺から多くの画僧を輩出した。

如拙(じょせつ)

南北朝時代から室町中期の画僧。相国寺にて足利将軍家と密接な関係にあった。漢画の祖といわれる。

周文(しゅうぶん)

室町時代中期の画僧。如拙に学ぶ。落款がなく、確実に周文が描いたという作品は特定できない(そのため「伝周文」として扱われる)。馬遠や夏珪に倣った対角線構図の多様、力強い描線等が特徴としてある。宋元画を参考にしながらも、どの中国画にも似ておらず、周文様式といわれるスタイルを確立した。

雪舟(せっしゅう)1420年~1506年(諸説あり)

京都相国寺で修業ののち、大内氏の庇護のもと周防に移る。その後、明にわたり李在より画法を学ぶ。各地を旅し、日本独自の水墨画風を確立した。

宗湛(そうたん)1413年~1481年

もともとは武士であったっが、出家し相国寺に入った。周文に学び8代将軍足利義政に認められ、周文の跡を継いで御用絵師となった。狩野元信へ影響を与える。

【狩野派】

初代狩野元信(1434年~1530年)が夏珪様を規範として幕府御用絵師と活躍しつつ、自己の画風へと発展させた。次の元信の代になり、その画風が確立する。元信は夏珪や馬遠の筆様から骨法様式の定型を抽出し、真体水墨画の規範的構図を創出した。

山水画では、左右の近景を楼閣や岩樹などで締め、中央に大きく水辺を広げ、小島を排して左右の均衡をとり、遠景に山を連ね、遠近感を構成することが典型。

〇筆様   元信が再構成し体系化

真体・・・墨の色使いを細密、緻密な構図、硬い描線できっちりと描く

行体・・・真体と草体の間。少し崩して描く。

草体・・・少ない筆数で崩して描く。余白が多い。

前島宗祐(まえじま そうゆう)

室町後期の絵師。後北条氏のお抱えとされ、関東で活躍。元信の直弟子の可能性が高い。

右都御史(うと ぎょし)

室町後期の絵師。元信の様式を基軸としている。

石樵昌安(せきしょう しょうあん)

室町後期、関東の狩野派画僧。

官南(かんなん)

式部輝忠(しきぶ てるただ)

室町後期。小田原狩野派と関係がありながら、独自の画風で描く。